残ったLPレコード [sound, music]
引っ越しを機に所有していたLPレコードは殆ど処分することになりました.
レコードの愛聴盤はほとんどCDで買いなおしているし,手元にはレコードプレーヤーがないので,聴くためというよりコレクションとして残っていました.すべて手放すのも惜しいので,僅かですが8枚が残されました.慎重に選択して残ったわけではなく,偶然の要素も多々あります.選択の基準は大判のジャケット絵を残したいということがほとんどで,音楽作品として特に気に入って残したわけではないのですが,それなりの思い入れがあるので書きとどめておくことにします.
これがその8枚です.
【Paganini: Concerto No.4】
1960年頃滞在した米国で父はコロンビアレコードクラブに入会し,通販でレコードを集めていました.日本には父がキットで組んだLPレコードプレーヤーがありましたが,日本ではレコードが高くて手に入れにくいということで,滞在先にはプレーヤーがないにもかかわらず集めていたのです.ColumbiaとEpicの二つのレーベルの作品が頒布されていました.まさかCBSレコードが後にソニーとなり,EpicがJPOPブランドになるとは想像できない時代でした.
私は中学までヴァイオリンを習っていたので,ビートルズ以前の音楽として親しんだのはもっぱらヴァイオリン作品でした.父のコレクションの中で帰国後よく聴いたのがヴァイオリンコンチェルトで,とりわけ好きだったのがこのパガニーニの協奏曲第4番です.超絶技巧の演奏家だったパガニーニは楽譜の公開には慎重だったようで,長らく行方不明だった4番の譜面が再発見されたあとの1954年に初録音されたものがこのLPです.演奏はアルチュール・グリュミオーです.2面には協奏曲1番が収録されていて,この曲も良く聴きましたが,独奏者もオケも別のものになっています.
【Bernstein plays Brubeck plays Bernstein】
父のコレクションの中で唯一のジャズ盤がこれでした.1面はデイヴブルーベックの兄であるハワードが作曲したジャズカルテットとオーケストラの合奏曲です.バーンスタインの指揮でデイヴブルーベックカルテットとニューヨークフィルハーモニーとの共演です.そして2面はバーンスタインが作曲したウェストサイドストーリーの名曲をブルーベックカルテットが演奏しています.
最初は1面ばかり聴いていましたが,そのうちに2面のカルテット演奏も面白くなりジャズに興味を持ち始めたわけです.デイヴブルーベックといえばTake Fiveが有名ですが,当時すでにラジオのジャズ番組でもブルーベックがとりあげられることはなく,かなり特殊なジャズだったことを知りました.しかし武骨なブルーベックのピアノと柔らかなデスモンドのサックスの取り合わせが絶妙で結構カルテット作品を集めました.解散してからはデスモンドのリーダー作品も随分と聴きました.ジャズを知るきっかけとなったLPとして残すことにしました.
【Miles Davis: Bitches Brew】
大学生になってジャズにはまりました.ちょうどジャズがエレクトリックサウンドを取り入れて大きく変化した時期です.ジャズ音楽を進化させた代表的人物として知られるマイルス・デイヴィスは新譜が出るたびに注目されていたので,何枚か手に入れています.このビッチェズブリューは2枚組の大作でポリリズムが取り入れられたエレクトリックマイルスの代表作です.いつ終わるとも知れない演奏を切りつないで編集して作られている点ではプロデューサーの役割も大きい作品です.ジャケットの印象が強烈なので残しました.当時トランペットにはあまり興味がなく,この録音でもリズムに関心をもったぐらいでした.マイルスの凄さというのを実感したのはずっと後になってからで,作品の多くはCDで揃えました.彼の作品で一番好きなのはモーダルジャズの傑作といわれるKind of Blueです.
【Herbie Hancock: Crossings】
マイルスのグループで活躍したピアニストの一人がハービー・ハンコックで,処女航海やウォーターメロンマンなどをよく聴きました.このCrossingsは1971年録音の2枚組で,ジャケット絵のために残りました.
【Herbie Hancock: Future Shock】
ハービー・ハンコックのLPは2枚残ることになりました.これは1983年発売のマテリアルとの共演作品Future Shockです,これをなぜ残したかというと,ジャケットではなく最後に新作として買ったLPだからです.CDの登場は1982年,これを買ったのは1984年でした.新譜買いは数年ほど途絶えて,1988年からCDを買い始めました.
【Chick Corea: “is”】
ハービー・ハンコックと同時期にマイルスのグループで活躍したチック・コリアの作品です.チックの作品としてはピアノトリオによる”Now he sings, now he sobs”が特に好きで,新しいピアノジャズとして親しみました.これはそのレーベルSolid Stateからの2作目”is”です.ただしピアノトリオとは趣向が異なるフリージャズ的なセクステット編成の作品です.いわゆるジャケ買いで音楽はといえば数回ぐらいしか聴いておらず思い出せません.キリコを連想させる絵の雰囲気が好きで残しました.
【Ryo Kawasaki: Prism】
ギタリストの川崎瞭の1976年の作品Prismです.多彩なエレクトリックギターの音づくりに親しみました.川崎瞭はギターシンセの開発や初期のPC音楽ソフトを制作した方で現在はエストニアを拠点にされているようです.自転車が並んだジャケット絵が印象的で残すことになりました.石岡瑛子の作品で気に入っています.
【The Crusaders: Free as the Wind】
フュージョン,ジャズファンクとして数々の作品を残してきたクルセイダーズのFree as the Windです.アメリカの田舎に点在する風車ですが,たそがれを背景にした好きな光景なので残すことになりました.クルセイダーズ解散後のジョー・サンプルの作品も良く聴いています.
なぜかロック盤は一枚も残りませんでしたが,単に大判ジャケットとして残したいものが手元になかっただけです.
回路キットで組んだミュージックシンセサイザー(回想) [sound, music]
70年代後半はアナログのミュージックシンセサイザーが発展した時代でした.実験的な興味があったので製品は買わず回路キットを手に入れてそれらしい楽器の形に仕上げました.
アナログシンセサイザーの構成は人間の発声に例えるとわかりやすいと思います.信号生成(喉)→フィルター(口腔など)→アンプ(呼気)のモジュールからなり,それらを過渡信号(エンベロープ)や低周波信号などで変調する構造になっています.
当時の製品のことを少しあげておきます.
これはその先駆的なメーカーであるMoog社製品のヤマハの輸入カタログ(1976年板)です.表紙はパッチコードで結線を行うモジュール構成のsystem55で価格は600万円となっています.冨田勲氏がオーケストラ作品を発表していた時期で,単音を重ねていくので作品の制作には大変な労力を要したと思います.
Mini Moogはロックやジャズのステージでも使えるコンパクトにまとめられた機種です.
日本ではRolandやKorgが製品を展開していた時期です.当時注目していたKorg MS20は最近キットの形で発売されたので手に入れたかったのですがスペースの関係であきらめました.
そのころアンプなどの電子回路キットに親しんでいたので電子工作雑誌にシンセサイザーのキットの広告を見つけて早速購入しました.WAVEKITというブランドで,わたしが手に入れたのはワンボードの基板と部品から成るWAVEKIT ワンボード・マイクロウェーブ・シンセサイザです.エッチング板にキーボードパターンがついていましたが,ちゃんと使うにはキーボードは別に入手する必要がありました.また後にはパネルが発売されたようです.工作趣味としてはどのように操作パネルをまとめるかが楽しみでした.
これがそのブロック図で発振器(VCO)2基,ノイズジェネレータ,フィルター(VCF),アンプ(VCA),エンベロープジェネレータ(ADSR, AR)で構成されています.
キーボードは中古のオルガン用を入手し,木箱に収めました.
木板には木目シールを施し,当時よく見られた電子鍵盤楽器のような外観にしてみましたが,電源部分の蓋は未完のままとなりました.
つまみやジャックが並ぶパネルはアルミパネルがベースです.しかしそれを塗装するのも大変なので得意なプラバン(スチレンシート)を貼っています.プラバンを黒塗装し,インレタとテープライニングを施し,その上から剥げにくいようにクリアラッカーを吹いて仕上げています.写真がこれしか残っていないのが残念です.
これがパネルのつまみ配置図になります.
配置図をコピーしてレジストレーションチャート(設定を記入するシート)として使いました.
肝心の音ですが,フィルターの効きがいまひとつだったことや温度補償をしていないので音高が安定しないなど,実用としては改善の余地がありました.単音楽器なので音づくりには多重録音用テープレコーダーなどが必要ですが,そこまでは踏み込みませんでした.そのまま活用することもなく,処分してしまう結果となりました.
電子音楽機器に関してはほかにコーラス効果の回路キットを組んでいます,写真下方にある箱がそれです. BBDという素子でディレイ回路が組まれていて,多少ノイジーなのですが,効果は十分に楽しめました.
その先自分がシンセサイザーなどの電子音楽技術を教えることになるとは当時考えもしませんでした.そのことがわかっていれば捨てなかったのでちょっと残念です.
最近またアナログシンセサイザーが注目されていますが,当分はソフトウェアによるシミュレーションで済ますことになりそうです.