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夏休みの絵日記から,汽車の旅とOゲージ [travel]

古い段ボール箱を整理していたら1958年の夏休み絵日記帳が出てきました.
へたくそな絵と作文で,恥をさらすようなものですが,ちょっとおもしろい記述があったので披露します.
 
【8月12日:京都から富山までの牽引機関車】
P9160618a.JPG 
この絵ですがDD112と書かれているものの,形も色もDD11とは違うし,汽車の旅だったことを除いては本文と関係のないまったくのやっつけなので絵はどうでもいいのです(笑).興味深いのは日記文で,京都から母の実家がある富山に向かう行程が記されていました.漢字を補うと:
 
“きょうは富山のおばあちゃまのとこへいきました.
京都から米原までEF電気機関車がひっぱっていきました.
米原から田村までE蒸気機関車がひっぱっていきました.
そこからED交流電気機関車がひっぱりました.
敦賀からディーゼル電気機関車がひっぱりました.
そのつぎに蒸気機関車がひっぱって富山までいきました.“
 
感想なしの駄文ですが,記録としては5回牽引機関車が代わっていることが簡潔に書かれています.これで急行”立山“だったのでしょうか?普通ならそれを書くでしょう(笑)
E蒸気機関車とはE10のことですが,これを読み直したとき,運用区間が間違っているのではと思いました.しかしWIKIで調べて正しいことがわかりました.
 
E10が俱利伽羅峠越え(石動・津幡間)の補機として使われたのは僅かな期間(1955年9月まで)で新しいトンネルになって運用を外れたのち,交流電化区間と直流区間とのつなぎに転用(1957~?)されたとあります.つまりこの日記は異なる電化区間を結ぶために蒸機が使われていたという信じがたい運用をしていた時期のものだったわけです.ただし,駅で列車から降りてE10が連結される様子を父と見たのですが山中の駅だったような記憶が薄っすらとあります.日記を記す何年か前の幼児だったころ,俱利伽羅峠越えでの補機接続を体験しているはずで,その時の印象ではないかと思います.
 
子供の頃,蒸気機関車は好きではありませんでした.突然鳴る汽笛が怖くて,蒸機を見かけるたびに耳をふさいでいたことを思い出します.そしてこのE10型の鮮烈な印象です.蒸機はこの1機種で堪能したので,C型機,D型機には興味がわかず,いまだに型式の区別がわかりません.
 
【8月10日:Oゲージ運転】
P9160618b.JPG
もう一つはこれ,3線式Oゲージで遊んだことが記されていて,漢字を補うと
 
“夕方トランスの電気機関車をやりました.鉄橋やら切り換えやトンネルをつくって動かしました.鉄橋は積み木でつくりました.トンネルは本と箱でつくりました.”
 
鉄橋は線路を浮かしたわけではなく側のトラスを積み木で作ったと思います. 6帖間でのエンドレス運転でした.
雑な絵ですが,3線になっていてトランスなど妙なところにこだわっています(笑). 
P9180622.JPG 
トランスと機関車(EB10)は今も手元に残してあります.(傷んでいたEB10 は横須賀のピット模型店店主だった中村さんが修復).
 
当時Oゲージをやっていた同級生がいましたが,彼の自慢話はトランスから煙がでて線の巻きなおしの修理に出したことでした.保護回路もなかった時代の話で,みんな結構手荒く扱っていましたね.


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