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ロアリングキャンプのナローゲージRoaring Camp & Big Trees Narrow Gauge Railroad ~カリフォルニアからネヴァダのゴーストタウン巡りへ その5 [travel]

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ロアリングキャンプ&ビッグツリー・ナローゲージ鉄道Roaring Camp & Big Trees Narrow Gauge Railroadはサンフランシスコの南の海岸の町Santa Cruzから内陸に入ったFeltonにあります.町にも近いことと,あたりが州立公園Henry Cowell Redwoods State Parkになっていることもあり,かなり賑わっていました(2023年5月12日訪問).
同鉄道は3ft軌間の観光鉄道でシェイを始めとするギアードロコを走らせています.鉄道は小高いBear Mountainまでループやスイッチバックで上り詰める路線になっています.1963年に運行を開始していますが,木橋が火災で焼失したこともあり当初からは周遊ルートが変化しているようです.ループ線を使い編成を替えずに戻ってきます.
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列車の出発まで時間があるので,まず車庫に向かいました.乗車場所とは離れていてこの先にあります.
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スクラップヤードが見えてきました.機関庫が向こう側にあります.
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まず目についたのがスクラップヤード脇に置かれたシェイ機,1912年製の6号機,Daisyは動態ではなさそうです.
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機関庫の表に回ると動態機が並んでいました.
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創業時からずっと活躍しているシェイ機Dixianaが出発準備中です.炭鉱から連れてきた一台です.
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となりにはハイスラーの機関車,West Side Lumberから来た2号機Tuolumneがいました.
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ハイスラーのシリンダーを眺めます.もう一つのギアードロコであるクライマックスはレストア中らしいです.
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West Side Lumberから来たMilwaukee Locomotive製のディーゼル機関車です.
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各種スピーダーが並んでいます.
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出発を待つ客車です.座席はほぼ埋まりました.こちらも切符は予約してありました.
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森の中に入っていきます.
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分岐点で先発していた保線列車が泊まっていました.
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頂上で停車,しばらく休憩です.乗客だけでなく,ハイキング客も大勢いました,
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そろそろ戻ります.
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池のほとりまで降りてきました.
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スティームドンキーなど森林伐採に使われた機材が展示されていました
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乗車を終えてから山のほうを散策して次の列車の走行を待ちました.木橋に差し掛かる列車です.
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木橋を横断中の列車です.
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隣接してもうひとつの鉄道Santa Cruz, Big Trees and Pacific Railwayがあります. Henry Cowell Redwoods州立公園の中を抜けてFeltonとSanta Cruzを結んでいますが, この標準軌の鉄道の運行は限られているようです.線路に沿って散策道になっていました,
参考サイト;
Roaring Camp & Big Trees Narrow Gauge Railroad
Henry Cowell Redwoods州立公園
Santa Cruz, Big Trees and Pacific Railway


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ヨセミテの森林保存鉄道Sugar Pine Railroad ~カリフォルニアからネヴァダのゴーストタウン巡りへ その4 [travel]

ヨセミテ国立公園から南下しOakhurstに宿泊して訪れたのがシュガーパイン鉄道,Yosemite Mountain Sugar Pine Railroadです(2023年5月11日訪問).
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シェイ型蒸機が走る3ftゲージの観光森林鉄道として知られています.この一帯の森林伐採を担ったMadera Sugar Pine Lumber Co.が運営した鉄道の跡地に復興された鉄道です.
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5月上旬は場所によっては雪も残っています.観光の季節には少し早いのでシェイ機はまだ運行されていません.
ディーゼル機の運航が4回予定されています.
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遊覧列車をけん引する402号ディーゼル機関車です.小型の入換機ですが小編成の牽引に似合います.
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出発を待つ列車.スクールバスでやってきた小学生の団体が来ています.
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4両編成で運行されています.最後部はキューポラがついたカブース風の客車です.
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乗客はまだ少なく,好きなところに座れます.
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まだ全行程の運用は整備が完了していないようで途中で引き返しました.
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さて車庫の外で整備をしていたのはシェイの10号機です.
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1928年製の3トラック70tクラスの大型機でWestside Lumber Co.からやってきました.
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動力の整備だけでなく塗装をやり直しています.
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車庫から見る10号機です.
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車庫の中にはもう一台のシェイ15号機がいました.1913年製の60tクラスでWestside Lumber Co.で活躍した後,観光列車としての運用を経てこちらにきました.
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車庫内はところ狭しと工具や部品が置かれていました.
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さてこちらはJennyと呼ばれるレールカーです.A型フォードの動力と下回りを流用しています.
12人乗りで運用されてきたようですが,座席は外された状態でヤードに置かれていました.
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自動車の下回りをそのまま使っていて,前軸の操舵が固定され,後軸はデフのある軸からチェーンで伝動しています.
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出発駅を出てすぐの待避線にさらに2台置かれていました.
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模型にしたいレールカーです.
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Jennyの運転席です.
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待避線に置かれたログカーのフレームは朽ちています.
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1935年製のディーゼル機がいました.
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放置状態のディーゼル機の室内の様子です.
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荷台ごと傾くサイドダンプカーは少し朽ちています.
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小さなクレーンカーがあります.
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砂金を洗う工程を体験するコーナーがあり小学生の団体が説明を受けています.他にも産業博物館や土産物店などの施設があります.
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午後の出発列車を見送りました.
このまま東方向に進めばネヴァダ州ですが山脈が立ちはだかります.一旦西の海外方向に戻りもう一つのシェイ機が走る鉄道に向かいます.


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琵琶湖疏水船,石山坂本線,近江鉄道 [travel]

10月下旬に京都に所用で出かけていました.帰りは琵琶湖疏水船で大津側に出て,京阪電車,JR草津線を経由して貴生川から近江鉄道で米原にでました.その道中記です.
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琵琶湖の水を京都にひく疏水は東京遷都で衰退した京都の復興をかけた明治期の一大土木事業でした.蹴上に遺るインクラインは高度差がある疏水(水路)間で船を運ぶケーブルカーで,1948年まで使われた後は散策路になっています.広軌の複線のレールが寄っているので真ん中の2本のレールがナローゲージのようにも見えます.
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滋賀県の琵琶湖からくる船はインクラインの台車にのせて京都市内に入るのですが.その琵琶湖からの水路の航行をよみがえらせたのが観光で復活した琵琶湖疏水船です.6年ほど前に始まったようで今回ようやく乗船することができました.
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トンネルを出た水路の脇に優雅なレンガ建ての建物が見えます.これは京都御所に防火用水を運ぶためのポンプ室です.こちらに散策に来るときには良く眺めていた建物ですが,今回のツアーはこの建物の脇から出発します.
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蹴上からの乗船風景です.大津側からの乗船も可能です.今回は蹴上から大津までの片道を乗りました.船を安定させるために一人ずつ船の両側交互に乗っていきます.因みに水道水用にもう一本,トンネルだけの第2疏水がほぼ平行して通っています.
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出発しました.山科に向かってトンネル(第3トンネル)に入ります.
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山科側のトンネル出口です,ポータルの意匠はそれぞれに異なり,かなり凝っています.漢詩を刻んだ扁額が掲げられています.ポータルは陸路からも見られそうなのであらためてじっくりと観察したいものです.
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大津に向かう乗船は流れに逆らうため,エンジンをかけていますが,それなりにスピードを出さないと安定しないらしく,狭い水路でかなり波が立っている様子がわかります.
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第2トンネル,諸羽トンネル(湖西線のために1970年に新設),そして2.4㎞に及ぶ第1トンネルを経て大津側にでました.随所に興味深い歴史的建造物が見られました.
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乗船はここまでです.
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トンネルには扉がついていました.
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水位を調整して船を通す通路が分離しています.
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水位調整の仕組みに関する説明を受けて見学が終わりました.
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大津側の近くにあるのが京阪石山坂本線の三井寺駅です.
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坂本に向けて北上する電車が対向車線にやってきました.
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やってきたのは往年のびわこ号の名を冠した車輛です.
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往年のびわこ号にちなんで右から表記されています.
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浜大津を抜け,京阪石山で下車しました.ここでJRに乗り換えですが,草津線に入る列車は本数が少なくかなり待ちました.
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草津からJR草津線に入り貴生川で降りました.ここから近江鉄道本線に乗って米原に向かいます.近江鉄道では交通系カードは使えず,乗り換え改札で硬券切符を買いました.
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入線していたのはおーいお茶の塗装で,2両編成の向こう側はおーいお茶の薄緑,こちら側は濃い茶の色の2色編成です.
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近江鉄道は西武鉄道の傘下ですが,経営は厳しく,近々設備は地方自治体が担い,運行管理だけを引き継ぐ上下分離方式の運営に移行する予定らしいです. 確かに日中だったので乗客は少ないです.
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ローカル私鉄の情緒が満喫できます.
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軌間が草で覆われている箇所もあります.
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なつかしい西武色の電車がいます.
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謎のヘッドマーク,調べたらバーチャルYouTuberのクレア先生というらしいです.
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五箇荘と高宮の間は新幹線に沿って走ります.いつも新幹線から時折見ることができたローカル電車にやっと乗ることができました.JR在来線と接続する彦根ではしばらく停車します.
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終着駅の米原に到着です.彦根で10分ほど停車して貴生川から1時間40分かかりました.
ここからは新幹線で東京に帰りました.いつも京都へは新幹線往復ですが,初めてのんびりと帰ることができました.


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池島炭鉱,軍艦島,そして長崎市内  [travel]

秋に長崎に行って炭鉱跡を見学してきました,
【池島炭鉱】
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目当てのひとつが池島炭鉱跡の訪問で,池島炭鉱体験ツアーに申し込みました.長崎市の中心地からは西海岸の外海沿いを北上する路線バスを乗り継いて二時間ほどで神の浦という港に着きます.神浦港から船で30分ほどかけて池島に渡ります.
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池島炭鉱は比較的新しい炭鉱で1959年から2001年まで採炭が行われました.炭鉱としては近代的設備を備えていたことから,閉山後は最近まで東南アジアなどの技術者に向けて採炭技術の研修施設として利用されました.現在はその役割も終えて,近代産業遺構として残されています.この島を採掘の拠点にして離島まで伸びる総延長90㎞に及ぶ地下坑道があったそうですが,そのほとんどは現在埋められているようです.良く知られる軍艦島が人工島であるのに対し,こちらは自然の島で,閉山後は大自然に還元されつつある情景を見ることができます.
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参加者7名で概要説明を受けたあと,ヘルメットやヘッドライトなどの安全装具を身に着けて出発です.野外のシェルターからバッテリーロコが牽くトロッコに乗車して坑内の見学が始まります.
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坑道に入って少し進んでから下車します.保存された採掘現場を歩いて回り,採掘の手順を詳細に説明していただきました.
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トロッコ列車は人車をはさんで両側にバッテリーロコが接続され,視界の良い往復運転に対応できる編成になっています.
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見学後の列車回収時の走行です.
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S字カーブの情景
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坑道に入っていきます.
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乗車場の近くには廃車になったバッテリーロコが置かれていました.
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脚こぎトロッコが放置されています.
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港には石炭船積み機が残されています.貯炭場から石炭をベルトコンベアーに載せる巨大なローダーが最近まで残っていたそうですが,風雨による倒壊が進み,安全にために撤去されていました.
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発電所を含む巨大な設備はかなり倒壊が進んでいますが,圧巻の情景です.
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午後は島内をまわるオプションツアーに参加しました.島の中央付近から第1立て坑の櫓が見えています.この島で生まれたという方の案内で,全盛期の様子を暮らしにまつわるエピソードを交えながら説明していただきました.社宅の内部や立坑の周囲も見て回ることができました.
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自然に緑の中に取り込まれていく廃社宅群の情景は印象的でした.
島内は解放されているところが多いので自由に歩き回る時間が欲しいところでしたが,帰りの船の時間の都合で切り上げました.
 
【軍艦島】
長崎に泊まって最初の訪問は世界文化遺産に登録されている端島炭鉱跡,軍艦島の見学でした,1974年に閉山したので来年2024年はちょうど閉山50年にあたります.いくつかのツアーがでてきますが,わたしが利用したのは長崎港ターミナルから出ている,やまさ海運のツアーでした.
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船は岸壁に横付けするので天候が荒れると出航しても上陸できないことがあるそうですが,幸い天候には恵まれました.公開されていないところ場所も含め写真は広く公開されているので,数枚だけにします.
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頂上にある貯水層まで陸から引いた水をあげていたそうです,
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奥に見えるアパートは風雨による崩壊が進んでいます.
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上陸できるところは限られており, 4班に分かれて案内に従う見学でしたが,栄えたころを偲ばせる寂寥感のある光景を満喫することができました.
 
【長崎の街中】
熊本や鹿児島には仕事でも出かけていましたが,長崎は高校の修学旅行以来の訪問です.
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長崎まで伸びる新幹線は諸事情でまだ新幹線網とは独立しています.博多からは在来線に乗り継ぎ,武雄温泉から西九州新幹線に取り換えて長崎に着きます,鉄道旅行としては在来線区間が車窓も楽しめてよかったです.
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整備中の長崎駅を出ると,ここで引き続き標準軌(長崎電気軌道)の電車に乗り換えて宿がある街中に向かいました.
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路面電車の路線図です(観光案内所配布地図より). 
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電車は頻繁に往来し,市街地は賑わっています.長崎電軌の車輛は大きく分けると,在来型,在来パーツを活用した80年代以降の1000番台の車体新製車,そして低床式新型車の3種類が走っています.他には西鉄で活躍したダブルルーフ車168号が保存されています.ちょうど長崎を離れた日が鉄道記念日にあたり,この車両が記念運行されたようでした.なお,標準軌とはいえ,車両限界の関係で新型車両も車体幅は2300㎜に収まっています.
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古い路線案内図を持参したのですが,川の上に載っている終点の一つは駅名が正覚寺下から崇福寺に替わっていました.1日乗車券を2日分買い求め,全線を見て回ることができました.
 
長崎市内を一望できる稲佐山には長崎ロープウェーで上がることができます.麓にある渕神社に出発駅がありました. 
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山頂駅から公園がある別の方角にはロープウェーとは別の長崎稲佐山スロープカーというちょっと変わった車輛が運行されていました.
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スロープカーは斜面を走行するモノレールですが,車体は水平に保たれていて2両連結だと上下にずれて走行します.ロープウェーもそうですが,奥山清行氏のデザインで近未来的なイメージを醸し出しています. 
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長崎市内は見どころが多くあちこち回りましたが,グラバー園周辺の散策は特に趣がありました.

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ダイアナ鉱山とイオーンのゴーストタウン ~カリフォルニアからネヴァダのゴーストタウン巡りへ その3 [travel]

ダイアナ鉱山(Diana Mine)は前述のベルリン鉱山州立公園(https://karatcreek.blog.ss-blog.jp/2023-07-28)に含まれていますが,公園入口の少し離れたところにありました.
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最小限の鉱山設備がまとまったような情景が見えてきます.
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近づいてみると,管理事務所の建物だけで,脇に線路があります.
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線路はYの字に分岐しています.
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線路は坑口から続いていました.
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この坑道はベルリン鉱山の鉱脈とつながっているらしく一時期見学ツアーが組まれていたようです.
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柵の外から坑道をのぞきます.それにしても線路一杯の狭い坑道です.
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ポイントはかなり素朴な構成です.
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かなり急な左への分岐です.
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左分岐はホッパーへと向かいます.
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ホッパーの先は斜面で何もありません.
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まっすぐな線路のほうは土砂が積まれた場所まで伸びています.
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その先は何もありませんが,手押しの鉱車が置かれていました.
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車輛は鉱車が一両.これだけでレイアウトかジオラマにしたくなるシーンでした.
 
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近くにイオーン(Ione)というゴーストタウンがあるので砂利道を往復しました.入口にある看板には”The town that refused to die”とあります.
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道路脇に廃屋がならんでいる箇所があったのでいくつかひろってみます.
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こちらは鉄板張りの家です.
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缶を広げて貼り付けてあります.意匠が面白いです.
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廃屋が斜面に点在しています.
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村の中心はきれいに整備されていましたが人の気配は感じられませんでした.
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再び州立公園(Berlin-Ichthyosaur State Park)に戻り,魚竜イクチオサウルスの化石発掘の保存施設を見てきました.この日はトノパ(Tonopah)に泊まりました.


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ベルリン鉱山(Berlin Mine) カリフォルニアからネヴァダのゴーストタウン巡りへ その2 [travel]

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リノから東へ,アメリカで最も孤独な道(loneliest road in America)と名付けられている国道50号線を走行し,Middlegateから洲道に入り80kmほど進みます.途中から未舗装道路になると先に山間が見えてきます.
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見えてきたのがベルリン鉱山(Berlin Mine)のある州立公園(Berlin-Ichthyosaur State Park)です.入口に入場料を入れる箱と案内冊子が置かれていますが,案内所と思しき建物も無人で管理人は見当たりません. 
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この州立公園は廃業となった鉱山をまるごと保存している施設です.ベルリン鉱山は1895年に銀山として設立され,1914年ごろまでに閉山となりました.当時の住居や設備がそのまま保存されていて,自由に散策することができます.なお公園は少し離れたところに位置する魚竜イクチオサウルスの化石保存施設やキャンプ場と併せてBerlin-Ichthyosaur State Parkとして管理されています.
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鉱山を一望できるところです.まっすぐ伸びている道路がたどってきた道です.
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ケーブルで上げ下ろししたとみられるシュートが上部にあり,全景が見渡せます.
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上にはウィンチだけが残っていました.この上は探索ができなかったのでこの設備を利用した採鉱の仕組みはわかりませんでした.
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シュートの下には鉱石ホッパー(ore bin)が構えています.
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18inゲージと思われる手押しトロッコがあり,選鉱所につながっています.
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線路は見当たりませんでした.
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シュートから選鉱所までを下から眺めます.
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選鉱所の内部です.
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砕石機(stamp mill)が見えます.
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選鉱用の振動テーブル(Wilfley Table)があります.
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鉱山には斜坑が残されていました.坑道の地下配置は説明がなかったのでよくわかりません.
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ホイストを支える櫓です.意外と小ぶりです.
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巻き上げ小屋の中にエンジンが見えます.
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立ち入りが危険な箇所だけ鉄条網が張られています.
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機械工場,分析所,倉庫などの建物が並んでいて,多くは解放されています.
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外にはトラックの廃車体が置かれています.
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木造の車体は触るといまにも崩壊しそうで,鉄条網で保護されています.
 
案内パンフレットでは歴史的な建造物の保存状態を“arrested decay”と表現しています.朽ちた状態のままの保存ですが崩壊しないように多少の修復もされているようで,盛況だった当時の雰囲気を偲ぶことができました.
 
来訪者は我々を含め数組いましたが,中が広いので直接他の人と接する機会はありませんでした.
同じ公園内ですが,少し離れたところにある ダイアナ鉱山などを次に散策します.


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カリフォルニアからネヴァダのゴーストタウン巡りへ その1 旅の概要 [travel]

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▲行程
 
コロナ禍が一段落したので,カリフォルニアのサンノゼを起点にネヴァダ州をまわってきました.娘がリノに住んでおり,永らく延期していた現地訪問がようやく実現しました.ネヴァダ州はカリフォルニア州の東側にあり,都市では南部のラスベガスがよく知られています.土地の80%以上が軍用などの国有地で,灌木地帯が広がっています.カリフォルニアの森林地帯と,渓谷が点在するユタ,コロラドなどの内陸地域の中間に位置し,自然景観ではこれといった名所もなく地味な存在です.ゴールドラッシュの19世紀後半は金,銀等の採掘が盛んにおこなわれ,鉄道は随所に建設されました.現在鉄道は観光用の一部を除いて残っていませんが,廃鉱山は随所に残されています.鉱山とその設備が使われなくなって,町から住人が去ってもゴーストタウンとして観光案内にも広く紹介されています.採掘物をつるし上げる木造のヘッドフレームや作業場は産業用鉄道模型の情景には欠かせない設備であり,ぜひ実物をこの目で見て回りたいところです.そこで採掘産業の遺跡であるゴーストタウンをめぐる旅を計画しました.ネヴァダ州の全域にゴーストタウンが点在していますが,州の北部と中部をまわることにしました.南部のラスベガスのまわりにも多数興味深いところがあるのですが,今回は断念しました.
リノに住む娘が行程を練ってくれて,車を運転して同行してくれるというので,要所を盛り込んだ充実した旅になりました.直行便があるカリフォルニアのサンノゼを起点に現地12泊の車の旅でした.幸い天候にも恵まれました.保存鉄道や博物館も見て回りましたので,各地の様子を綴っていこうとおもいますが,まずは旅の概要を述べることにいたします.
 
【1日目】サンノゼ空港に朝到着.早速東に進みヨセミテ国立公園へ.まだ雪解け水が残る絶景を楽しみながら南に向かいOakhurstへ,森林は随所に森林火災の跡がみられました.
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▲ヨセミテ国立公園の景観
 
【2日目】朝,Sugar Pine鉄道に到着.シェイはシーズン前なのでまだ整備中.ディーゼル機関車がけん引する遊覧列車に乗りました.このあと海岸近くのSanta Cruzに向けて西方向に戻りました.道中トイレ休憩で寄ったCasa de Fruta,果物の直売所やガソリンスタンドが並んだ道の駅のようなところでしたが,敷地の奥には16インチゲージの線路が敷かれ,トラクター,農耕機,トラックの廃車がずらっと並んでいて意外な発見でした.
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▲Sugar Pine鉄道ではディーゼル機の編成に乗る
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▲Casa de Frutaの16インチゲージと農耕機の廃車群
 
【3日目】Santa Cruzに近いFeltonのRoaring Camp 鉄道へ.シェイがけん引する遊覧列車にのりました.車庫にはハイスラー機もありました.観光地のようで結構賑わっていました.午後はYuba Cityに向かいます.
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▲Roaring Camp ではシェイがけん引する遊覧列車で山頂まで
 
【4日目】カリフォルニア州のNevada City にあるNevada County Narrow Gauge Museumを訪ねました.同鉄道の歴史展示とともに,3ftゲージの各種車両が動態保存されており,レールバスで周回しました.このあとTruckeeの古い町並みを見てネヴァダ州に入ります.Renoで2泊しました.
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▲方向転換するNevada County Narrow Gauge Museumの周遊レールバス
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▲Porterの蒸機
 
【5日目】Reno市内を散策.National Automobile Museumを訪ねました.日本でも大学生のころ,巡回展示していたハラーズコレクションを大阪まで友人と観に行きましたが.そのコレクションが継承されています.
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▲National Automobile Museumにて
 
【6日目】Reno市からBerlin州立公園へ.保存されている廃坑エリアへ.ゴーストがでるというホテルに2泊します.
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▲Berlin州立公園に保存された廃鉱
 
【7日目】Tonopahの町にあるTonopah Mining Parkを訪ねます.廃坑全体が保存されており,修復も行われていました.そのあとは南にあるゴーストタウン群,Rhyolite, Bonnie Clair, Gold Point, Goldfieldをまわりました.歴史地区として保存されている史跡や案内板もない廃墟など,それぞれに特色があります.
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▲Tonopah Mining Park
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▲Gold Point
 
【8日目】午前中はTonopahのCentral Nevada Museumを見学,野外展示が充実していました.そのあと,案内もなければ他に訪れる人も見かけない廃坑を巡ります.Nivloc Mine, Blair, Candelariaを回ってHawthorneの町へ.
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▲Central Nevada Museum
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▲Nivloc Mine
 
【9日目】カリフォルニア側のゴーストタウンBodieを目指しますが,まだ雪が残っているようで道路閉鎖により断念.ネヴァダ側に戻ってDaytonへ.この町を散策中に地元で保存活動をしている方々に出会ってSilver Cityで復元作業中の精錬施設Donovan Millに案内されました.Virginia Cityに泊まります.
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▲Virginia & Truckee鉄道のチャーター列車
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▲Donovan Mill
 
【10日目】観光地にもなっているVirginia Cityの古い町並みを散策.観光鉄道として復活したVirginia &Truckee 鉄道の施設をめぐり, Carson CityのNevada State Railroad Museumへ.船舶用機材でつくられた丸窓の奇動車McKeen Carなどが展示されていました.
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▲Nevada State Railroad Museumに展示されているMcKeen Car
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▲Nevada State Railroad Museumは古典機の宝庫
 
【11日目】自然保護地区Stillwater, Fort Churchill州立公園などをまわってRenoにもどりました.
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▲Reno
 
【12日目】カリフォルニアへ戻り,Suisan CityのWestern Railway Museumへ.ベイエリア近郊の電車を集めたトロリーミュージアムです.Key Systemの編成に乗ることができました.Sunnyvaleに宿泊.
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▲Western Railway Museum
 
【13日目】San Jose空港より離陸
ざっとこんな旅行でした.続きは日程を追うよりもトピック別に語っていく予定です.


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桜の時期の京都市散策2022 [travel]

しばらく行けなかった故郷の京都市ですが,ちょうど桜開花の時期に用事があったので市内をまわってみました.
  
【左京】
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ここは左京区の松ヶ崎を東西に抜ける松ヶ崎街道です.脇を手前方向に流れている水路に特に趣があるわけではありませんが,高野川から取水されており,泉川となり下鴨神社の糺の森で“蝉の小川”となり鴨川に注ぎます.このまま源流の方向に進むと修学院の電停です.
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叡山電鉄修学院駅に到着しました.
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裏側の車庫をまわってデト1001を確認.丸窓のひえい号(732)は洗車中でした(写真なし)
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しばし線路脇から電車の通過を眺めます.外装デザイン一新で随分印象が変わる700系
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起点の出町柳駅まで乗ります.京阪電車に乗り換えることができますが地下鉄になっているので,ここからは見晴らしのいいバスを利用します.
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下鴨神社です.中高時代はよく境内の糺(ただす)の森を自転車で通り抜けたはずですがかなり忘れています.
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前述した水路が糺の森を抜ける際,蝉の小川とよばれる風流な川になります.
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そしてその脇に摂社として位置するのが河合神社.その中に鴨長明が隠棲して方丈記を著したとされる方丈庵を復元した庵が置かれています.
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写真やスケッチをヒントにレーザーカットの模型をつくったことは前に書きました.
実物を見るのははじめてなので細部を見て回りました.
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東大路通の東一条には京都大学と対面する位置に日仏学館(現アンスティテュ・フランセ関西)があります.市電の窓から眺めつつも今まで一度も寄ったことはなかったのですが,東京の会員にもなっているのでバスを降りて構内を散策し昼食をとりました,ちょうどフランス大統領選の前で候補者のポスターがずらりと並んでいました.
 
【東山】
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久しぶりの墓参りを済ませて降りてくると円山公園です.花見の名所で結構賑わっていました.
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そのとなりが知恩院の三門.仏教各宗派がひしめき合う場所です.観光バスで乗り付ける団体観光客で賑わう場所ですが,個人客中心でいつもより空いていました.
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古門前通りを出ると白川です.子供のころは友禅染の洗浄が行われる度に水の色がかわり,それはそれで趣がありました.現在は柳に囲まれたきれいな川に整備されています.
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一本橋です.子供のころは気軽にわたっていましたが,最近平衡感覚が衰え気味で少し注意が必要でした.
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そして古川町商店街に入っていきます.地下鉄東西線東山駅に連なる商店街なので,もう少しにぎわいを取り戻してほしいです.右側が小学校卒業まで暮らした家があった場所で,現在は低層のマンションになっています.曾祖父が製薬工場を興し薬業の近代化を進めた場所として市の駒札が建てられています.
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古川町商店街の西側,東大路に面したユニバーサル模型社は健在です.現在はプラモデルとNゲージが中心に並べられており,ジャズ音楽が流れる中,女性の店主の方と懐かしい話をさせていただきました.小学生のころ,ゲルマニウムラジオキット,プラモデル,工作材料はすべてここで手に入れました.鉄道模型は高価だったので眺めることがほとんどでしたが,子供の科学に載っていた製作記事を見てベーカーカプラーやパンタグラフなどの部品を買った記憶があります.
 
【右京】
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今回利用した宿が四条大宮に近いこともあって嵐電の一日乗車券を買って周遊してみました.これは江ノ電号と称する配色の異なる一両です.京福電鉄はまず叡山電鉄を分離したので,次は嵐山電鉄を分離かと思いきや福井側の路線を譲渡したのでこのままの名前が残ってしまいました.叡電が郊外線の台車を履くのに対し,こちらは路面電車向けの車輪径の小さい台車を使っているので腰が低いのが特徴です.
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単線単行の北野線に乗り換えました.桜のトンネルといわれる鳴滝‐宇多野間では撮影隊が車窓から見えます.早速鳴滝で下車して撮影ポイントに向かうことにします.
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桜を背景にして電車をとるのは初めてです.それどころか京都で暮らしていたころの街中の電車の風景は一枚も撮っていません.
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何本か列車の通過を待ちました.小型カメラとスマホで撮りましたが,スマホのほうがよく撮れている気がします.
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路面を走る三条通の山之内電停です.低床とはいえ,ステップがないのでプラットホームとはかなりの落差があります.
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旧塗色が残っていました.やはりこの塗色が好みです.
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西院の車庫の様子です.現在は紫色が標準色のようです.
桜の開花は終盤でしたが,天候にも恵まれて久しぶりの街中散歩を楽しみました.
観光客の出足も徐々に戻りつつあるようです.


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水の抜けた湖を訪ねて [travel]

先日埼玉県の深谷のほうに車で出かけた帰り、同行した娘がブックマークしていた湖に立ち寄りました。毛呂山町の鎌北湖です。
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これが鎌北湖現地の案内板です。人工的な貯水池としてつくられ、桜や紅葉の名所らしいですが、築堤の耐震工事が数年前から始められ水が抜かれた状態になっています。
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これは築堤の上から眺めたところです。池(湖)が左右にV字型に広がっており、中央の部分が岬のようになっています。
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貯水されていれば水面が広がっているはずです。中央が岬の部分で、木々に埋もれている建物は廃墟のようです。
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築堤を渡って進むと放水路が見えます。平常時は壁の左側まで水が蓄えられていることになります。
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水深は結構ありそうです。そして見えるのが鎌北湖の用水管理棟です。
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用水管理棟はモダンで造形がいいです、
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建物はきれいに管理されています。
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結構凝った意匠です。
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第1駐車場の脇から自然歩道に入れます。奥武蔵自然歩道です。
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降り口に近づくと見えてくるのが宿泊施設レイクビューホステルです。
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遊歩道を降りたところに建物はありました。
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現在は営業していない状態ですが、建物は維持管理されている様子です。
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その脇にある案内所と書かれた閉鎖中の小屋です。
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宿泊施設から駐車場のほうに引き返し、対岸を見ると揚げられたスワンボートと手漕ぎボートが見えます。そして右に見えるのが岬にある廃墟です。
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寂しそうなスワンボートの並びです。広報によると貯水が復帰すればボート営業を再開するようです。
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廃墟は元々旅館で、残っている別館は何年も放置されているようです。池を見渡すには最高の立地です。廃墟の探検は家族から禁止令がでているので近づきません。
 
水が抜かれているので荒涼感が漂いますが、平日でも駐車場に車をとめて散策している方が何組かいました。工事が完了し貯水が復帰すればまたにぎわいを取り戻すことでしょう。


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夏休みの絵日記から,汽車の旅とOゲージ [travel]

古い段ボール箱を整理していたら1958年の夏休み絵日記帳が出てきました.
へたくそな絵と作文で,恥をさらすようなものですが,ちょっとおもしろい記述があったので披露します.
 
【8月12日:京都から富山までの牽引機関車】
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この絵ですがDD112と書かれているものの,形も色もDD11とは違うし,汽車の旅だったことを除いては本文と関係のないまったくのやっつけなので絵はどうでもいいのです(笑).興味深いのは日記文で,京都から母の実家がある富山に向かう行程が記されていました.漢字を補うと:
 
“きょうは富山のおばあちゃまのとこへいきました.
京都から米原までEF電気機関車がひっぱっていきました.
米原から田村までE蒸気機関車がひっぱっていきました.
そこからED交流電気機関車がひっぱりました.
敦賀からディーゼル電気機関車がひっぱりました.
そのつぎに蒸気機関車がひっぱって富山までいきました.“
 
感想なしの駄文ですが,記録としては5回牽引機関車が代わっていることが簡潔に書かれています.これで急行”立山“だったのでしょうか?普通ならそれを書くでしょう(笑)
E蒸気機関車とはE10のことですが,これを読み直したとき,運用区間が間違っているのではと思いました.しかしWIKIで調べて正しいことがわかりました.
 
E10が俱利伽羅峠越え(石動・津幡間)の補機として使われたのは僅かな期間(1955年9月まで)で新しいトンネルになって運用を外れたのち,交流電化区間と直流区間とのつなぎに転用(1957~?)されたとあります.つまりこの日記は異なる電化区間を結ぶために蒸機が使われていたという信じがたい運用をしていた時期のものだったわけです.ただし,駅で列車から降りてE10が連結される様子を父と見たのですが山中の駅だったような記憶が薄っすらとあります.日記を記す何年か前の幼児だったころ,俱利伽羅峠越えでの補機接続を体験しているはずで,その時の印象ではないかと思います.
 
子供の頃,蒸気機関車は好きではありませんでした.突然鳴る汽笛が怖くて,蒸機を見かけるたびに耳をふさいでいたことを思い出します.そしてこのE10型の鮮烈な印象です.蒸機はこの1機種で堪能したので,C型機,D型機には興味がわかず,いまだに型式の区別がわかりません.
 
【8月10日:Oゲージ運転】
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もう一つはこれ,3線式Oゲージで遊んだことが記されていて,漢字を補うと
 
“夕方トランスの電気機関車をやりました.鉄橋やら切り換えやトンネルをつくって動かしました.鉄橋は積み木でつくりました.トンネルは本と箱でつくりました.”
 
鉄橋は線路を浮かしたわけではなく側のトラスを積み木で作ったと思います. 6帖間でのエンドレス運転でした.
雑な絵ですが,3線になっていてトランスなど妙なところにこだわっています(笑). 
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トランスと機関車(EB10)は今も手元に残してあります.(傷んでいたEB10 は横須賀のピット模型店店主だった中村さんが修復).
 
当時Oゲージをやっていた同級生がいましたが,彼の自慢話はトランスから煙がでて線の巻きなおしの修理に出したことでした.保護回路もなかった時代の話で,みんな結構手荒く扱っていましたね.


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